・母の手術と合併症
きっかけは遡って4年前。
心房細動の2泊3日の(医者曰く)簡単な手術に向かった母は、0.3%(確かな数字ではない)程度の合併症である”多発性脳梗塞”を発症し、数分の心肺停止(医師の説明より)から生還に至ったものの、回復には至りませんでした。
四肢は自分の意志で動かせないけれど常に体が緊張状態でこわばっており、そのせいで拘縮が進み、嚥下は徐々にできなくなり、言葉も話せなくなり…せつない事に意識はしっかりしていてこちらの話しは理解できる状況になりました。
・予想していなかった介護生活の始まり
癌と10年ほど戦い、当時インスリンを打たなければならない程の糖尿病とも戦っていた父は母を施設に預ける事を拒み、自宅での介護を望みました。
今考えればちょっと無謀だったかな?とおもいますが当時は無我夢中で自宅での介護を選択したのです。
当時会社員の私は会社に行かねばならず不在時はヘルパーさんに頼り、ヘルパーさんのいない時は父に見守りを頼んでいました。
・自分の納得いく介護生活とは
この時「仕事を辞めて介護に専念した方がいいんかな…」と考えていました。
そんな思いを女性の上司に相談したところ「介護に専念すると自分が倒れてしまうよ」と介護経験者としてアドバイスをもらいました。
『確かにそうや。介護をするなら先ず私が健康でないといかんな。それに娘もこれからお金のかかる年になってくんやで、仕事はせなならんよな。…ああ…会社行かんで出来る仕事とかないんかな~。そしたら仕事しながら今よりもう少し介護してやれるのに…』
・在宅ワークが選択肢の1つに
そう考えた私は日々、スマホで在宅で出来る仕事を検索していました。
検索してみての印象は「世間では在宅勤務できる環境が広がってきてるけど飛騨ではまだまだキツイかな?」でした。
でもこの当時、人手不足の会社を辞める事は現実的には難しく、在宅ワークもピンとくるものがなく同じ毎日を過ごしていました。
・また生活に変化が…
そしてその年の暮…母の事がショックだった事もあるでしょう。満身創痍の体でありながら遠方の病院に入院していた母のところに2日に1回見舞いに行った疲れもあったでしょう。母が自宅に戻る前に再び癌が見つかり手術をして体力も限界だったのかもしれません。長く闘病していた”癌”ではなく、敗血症で父は亡くなりました。
父が亡くなったことで見守る者の居ない我が家で母を介護することが難しくなりました。
母を介護施設に預ける生活になり、介護施設の手続きに始まり父が亡くなった事で起こる諸手続きに奔走している間、徐々に「在宅で出来る仕事探し」は頭から離れていきました。
今日現在、母は残念ながら症状が良くなることはありませんでしたが、おかげ様で大した問題もなく元気で特別養護老人ホームのお世話になっています。
さて。在宅で仕事をしなくても良くなった私ですが…結果今、在宅目指して「セールスライター」を学んでいます。
…なぜでしょう?
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